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「美しい」国ニッポンの陰、世界の片隅で苦しむ人を1人でも救いたい。人扱いされていない人間を1人でも少なくしたい。そういう思いでニュースを中心に数々の卑劣な行為を糾弾していく。協力頼む。
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  汝盗むなかれというがね、法律を誠実に執行すべき役目を負った日本の上に立つ人が自分たちの利益のために好き勝手やっている。世が世ならばギロチンにかけられるべく泥棒ばかり。詳述する必要もないけどさ。おいしいところは既得特権で有形無形の規制をかけまくって新規にほとんど入れないようにして、それで何をしているかといえば、さまざまな泥棒行為。また何兆円という税金が外国の戦争に使われている。アメリカの戦争や軍事に金を使ってもさあ、自国の独立を他国にゆだねるなんて馬鹿な話はないだろ。そんなことしているとその他国にのっとられる。乗っ取る必要もないぐらいに従順になっているので、馬鹿にされるだけで何もされないけどね。実質不平等条約を突きつけられていて、百数十年前に黒船が来航した時とぜんぜん変わってない。ルールもわかってないのにアメリカ型グローバルスタンダードに合わせて首を絞めてるのも同じ。当時も金が日本から大流出したが、今も富がどんどん漁られている。そのころと比べ1国だけに偏重した土下座外交をしているので状況はなおひどいか。日本は労働力と技術以外に資源が何もない国だし、波風を立たせることが得意な国と一緒に行動しなければ、攻める価値がない。それでアメリカと一緒に防衛?アメリカの傘の下にあって何を「自衛」隊?
 
 ところで20歳ぐらいの若造が100万足らずの鉄かなにかしらぬが盗んで有名人の弟だからそんなちんけなことが話題になったが、日本の上層部の私欲と愚策で失われた国民の富とは比較にならないだろう。年齢や職歴や学歴などという非本質的なものが重視され、それらの評価が低いと、偏った豊かさと無駄の蔓延する社会で、立身出世するチャンス1つさえなかなか与えられない。それでニートや負け組みやら蔑称的な呼称まで作られる。大昔から仕事をしていない若者なんていくらでもいたのに、そんな呼称必要ないのにね。自己責
任ってことにしてやりたいんだろうな。だからヤケになって裏で金を作ろうと思っている若造がたくさんいる。闇金融。泥棒。ひったくり。ねずみ講。オレオレ詐欺などなど。こういうことにかかわっている若者は決して少なくないし、社会の入り口でつまづいたら、どんな方法でも一山当てたくなるだろう気持ちも切ないぐらいに感じる。

  これから増える犯罪は間違えなく家庭内での押し込み強盗。かなりの社会問題になるんじゃないかな。日本の社会は金持ちと貧乏人が隣人としてやってきたけど、これからはそんなことはなくなる。家の中で泥棒と殺し合いがあちこちで起きるようになる。
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  中国から覚醒剤1キロ強持ち出そうとした日本人が大連空港で発見された事件で死刑判決が下りた。この国ならばすぐに執行もなされるだろう。もうされているかな。これだけの量の覚醒剤を売買目的で運んでいるとみなされれば、かなりの国で死刑判決が出る。一桁グラムでも死刑が出るのが通常だし、1キロは尋常な量ではない。これはやむなしか。と外国の事情を考えれば思うが、日本国内で外国人が覚醒剤1キロ売買目的で所持していても、相場は3~5年前後になるのかないずれにせよ刑務所に入れば出てくる。同じ日本人が確かに具合は悪いが覚醒剤所持とは言え、日本国内では再起が図れる犯罪でおそらくこれは薬物注射で殺される。人を殺していないのに殺されるのは、日本人の応報感覚に合致しないのではないかな。ましてこれを言ってはならないのかもしれないが、日本で好き放題犯罪を犯している人を出しまくっている他国でこんなことがなされて、少しも同情がないのはいかがかと思う。しかもザマミロ的な感想が多いようである。まあ旅行していて拉致されても自己責任で殺されて来いというぐらいなので、それとの均衡は取れているが・・・。なんかまとまりのない国で、この国では弱者や判断能力の鈍い人がどこでどんな目に遭っても見捨てられることが多いようである。日本はいつか近い将来に地図から消えるのではないかなあ。周りの人へ思いやりや仲間意識がなければそんな国が国家として存在していることにいかばかりの意味があるか問い直してみたい。
  
  なおたとえ暴力団であっても国内法で死刑とされない件で死刑となるのは個人では疑問を感じるが、この件では運び屋として死刑判決を受けた日本人は、退職後収入がなく経済的に困窮していた。しょせん経済大国日本の現状などその程度のものであるのだが、海外から物を運べば20万円ほどの報酬が受けられるという求人広告に申し込んでこのようなこととなったようである。時折このような広告を見るが、昔は多少状況が異なっていたようであるが今は専門のバイヤーでルートを知っているわけでもない見ず知らずの素人に報酬を払ってまで他国から輸入すべきものはない・・・ということはないけど、そんなおいしい仕事は自分か親しい者にやってもらうであろう。どこの馬の骨かわからん人間には頼まない。おのずとどのような仕事か知るべきであろう。「高収入、未経験歓迎、ただで海外旅行」などの雑貨輸入スポーツ用品輸入のスタッフ募集も中に覚醒剤を仕込んでいてそれを運ばせることを目的にしている場合が多い。とんでもないことに巻き込まれる。

  ところでよく凶悪な人殺し弁護の弁護人が「彼は残忍な男ではない。 矯正の可能性がある」など言うわけである。人として越えてはいけない一線と、誘惑に負ければ死が後ろに迫っていれば越えても仕方ないかと思える一線もある。この場合の覚醒剤運び。経済的に困窮していた人間。何かやらないと死ぬけど60歳過ぎでは就職もないし、多少あやしいことに手を出してしまうのも同情できるなあ・。はっきりいって、これは矯正できるよ。働く場所か何らかの形の援助を受けられるならば。矯正不可能なのはなんら理由のない人殺し行為。イジメ殺人ももちろん含める。堤翔吾も山川も勝浦ももちろん矯正不可能。殺しは人間としてしてはならないこと。どんなに経済的に困窮していても。でも人殺しは矯正できるかどうか関係ないであろう。

堤とか山川とか山形マット殺人事件や函館リンチ殺人事件の犯人に「矯正しました。更生しました。今日からみなさんとまた仲良く社会生活が送りたいです。よろしくね」といわれて、誰が良かったねと思えるんだろう。矯正可能性があるから極刑は躊躇する。この感覚にはついていけない。矯正可能性があろうがなかろうが人を殺せば二度と同じところに帰ってきてはならないであろう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071023-00000083-jij-int

【北京23日時事】中国の遼寧省高級人民法院(高裁)は23日午前、麻薬密輸罪に問われた森勝男被告(64)=福島県出身=に対する控訴審の判決公判を開き、同被告の控訴を棄却、執行猶予なしの死刑判決とした1審を支持した。中国は2審制のため被告の死刑が確定した。
 同法院は刑執行に関して最高人民法院(最高裁)の許可を取るとしており、最高人民法院が最終的な決定を下す。瀋陽の日本総領事館が明らかにした。
 今年8月には森被告と同様に、日本への覚せい剤運搬に関与した武田輝夫、鵜飼博徳両被告に対する執行猶予なし死刑判決が確定し、最高人民法院が刑執行の是非を審査している。死刑判決確定は3人目となる。


 
  いじめは今の社会の構造と密接不可分なのではないかなと思う。社会の構造が弱肉強食をはっきり認めている。それがすごい疑問に思う。同じ日本人もしくは日本で育った者同士で差別しあってどうするのだろうか。アメリカや南米諸国は強い者が弱い者を蹴散らして作った国。国の性質からして同じ歴史を背負ってる人達の運命共同体ではない。より良い食い扶持があれば簡単にどこにでも民族移動するし、同じ国で仲間意識を持ちづらいのではないかと思う。しかしむしろ今の日本よりは国民同士で守りあおうという意識は強いのではないか。

  弱肉強食は良いことなにもない。何が良くないかと言えば弱いものは自己責任にされ泣き寝入りをするしかないから。いじめの場合は、いじめられている側が堂々と胸を張って自己主張できず、恥じらいを感じて生きざるを得ないところもある。いじめている方が、堂々と弱い者を使い走りに使ったり、貯金箱にしたり、殴ったりして、それを自慢するような奴さえそこら中にいる。弱肉強食的な発想が抜けない限りはいじめは続くであろう。

  いじめは回避不可能だと思う。いじめ殺人事件についていくつか例を読んだが「力が弱いから」「年齢が下だから」「家が貧しいから」などという自分の力ではどうしようもできない理由でいじめられる。どちらかといえば、いじめられる側に原因があるという意見さえ多いのではないかと思われる。「力が弱いからいじめられる」こんなの解決の方法がないであろう。また、いじめは日本中にある。北海道でいじめられていて、理由が力が弱いであるならば、大阪でも東京でもいじめられる可能性が高い。大人の世界でも子供の世界でも大企業でもどこでもいじめはある。しかも社会が黙認している。

  こんな国は珍しい方ではないかな。皆無とまでいえるのかどうかは疑問を感じるが、中国やフィリピンでは日本のような陰湿ないじめはどうもないようである。日本のいじめは異常だしまともな良心のある人間が考え付くものではない。フィリピンではホームレスを殴るような人は1人もいないということも聞いたことがある。社会問題として出てくるまでにはなっていないと考えるのが良いのかな。たしかに弱者が泣き寝入りするような、そういう雰囲気の国ではないと思う。

  結局「生産できない人間は切り捨てた方が社会は発展するしそれが良い」という考えがいじめにつながるのではないかと思う。これが中学生や高校生なら生産が「力が弱い」「運動が苦手」「顔が悪い」などに置き換わる。結果主義が良くないのであろう。「生産できなくても同じ仲間だし」の発想がないよなあ。東南アジアは生産より大事にしていることがあるし、結局経済が駄目になれば日本は劣化版フィリピンなんだろうなあ。

 いじめられたら日本を出る方が良いかも知れないなあ。こんなこと書きたくないが、いじめられる人は世渡りが下手なところはあるし(それは悪いことではない)、今の生き馬の目を抜く日本の社会だと「運任せ」になってしまう。自分の価値が一番高くなる場所が日本でなければ出て行くのが良いのではないかと思う。
  

  いじめ=Ijimeという言葉は、sushiやchikanやotakuなどと同様、そのまま海外でも通用する日本語である。別にいじめを意味する英語もあるが、それでも、いじめ(IJIME)が日本に特に多い現象であることはわかるであろう。フィリピン人は「いじめはフィリピンにはない」と外国人の前で言い切れる。韓国人が英語を話すときにIJIMEという言葉をそのまま使っていたことも覚えている。

  恥ずべきじゃないかな。非人道的ないじめが日本中で大っぴらにまかり通っていることを。腕力が弱くて世渡りの下手な子供は、今の日本の学校にはやれないと思う。殺される事はそんなに多くないであろうが、いじめられる可能性はかなり高いし子供の頃や若くしてそういう重いマイナスを負わせるのは残酷だと思う。

 「ケンカの弱い子供が学校でいじめられたら自己責任」など言いはじめる奴も出てくるかもしれない。滝川高校殺人事件の現場や犯罪者の写真を見ると、たしかにケンカが弱いと生きていけないのではないかと思ってしまうが・・・。

  日本の国民性や伝統に欠陥があるのかな。こういうことがまかり通って、いじめることが勲章になっている感がしてならない。この犯罪者も「更生」しているんだろうな。やれやれだな・・・。

  http://yabusaka.moo.jp/hayashi-ijime.htm

遺書で名指しされていたWは「バンザイ!」「あいつ死んじゃった」とニコニコ飛び回っていたという。

  大学は出たけれど・・・昭和初期によく言われた言葉。この頃は今ならばニートといわれる人が多かった。空前の就職難で大学を出ても勤める場所がなく、大量の大卒失業者が供給された。もっとも「家にいたら気まずいから」という理由で当時のお金で80円ばかりの初任給相場よりはるかに低賃金で働きに出るものもいたようだが、「家のメイドより低賃金で働くのはあほらしい」と無職を決め込み、銀座のカフェあたりで徘徊する大卒若手失業者が多かったようである。それでも日雇いを除く当時の失業率は3パーセント前半で今より良かった。何よりこの頃はまだ大卒の学生が「学士さん」と呼ばれ相応の評価は受けていたので、今のように特段に社会的に気まずいことはなかったのではないか。それと比べても現況は尚いっそうひどいと思われる。余談だが、当時は早慶が都内の二大マンモス大学であり、明治大学の20倍ぐらいの規模であったようである。明治大学も私学を代表する名門であるが、当時の学生数の差が実績の差になって、ややレベル的に低くなったのかと思われる。また当時はプロ野球はなかったが野球の早慶戦のチケットは大人気で、大学の野球選手の人気は芸能人顔負けで、野球の試合ではダフ屋が徘徊し相場の数倍の値段でチケットが取引され、プロマイドの売り上げは常にトップクラスであったということ。

  今の20代30代の若い人でも「大学は出たけれど・・・」とつぶやかざるを得ない人は多いのではないか。国全体のマクロとしてみれば人が足りない感もあるようだが、個々の企業の求めている人材とミスマッチが起こっているようである。今は会社も即戦力を求めている厳しい時代になっているので、評価の高い大学であれば尚良いのであるが、学校で学ぶ内容も考えて選択していかないとならないのかなあ。企業で必要とされるなんらかの武器が必要になっている。理系はわりかし受けが良いようであるが、文系であれば語学なりなんなり勉強して自分を売り込む何かが必要となるであろう。個人的には必要にあわせてする勉強はつまらないと思うけど、労働条件の良い会社に入りたければしかたない。また外資やベンチャー企業は3年会社にいられれば長い方である。超競争社会は多くの人にとって良いことないと思うが、現実は現実なので対応していかないとならない人が多いであろう。

  ところで滝川高校いじめ殺人事件の主犯格とされる人間が、立命館大学野球部にスポーツ推薦で合格したようである。新しい掲示板も作らないとならないが、まさに日本国中で名前と不良行為が知れ渡っているのに、いまだ自己の保身に執着しているようである。立命館大は京都で見たことがあるが、大層人が集まっており、あのような場所に殺人事件の当事者とされる人間が出て行くとは、恥知らずとはこのことであろうと感じる。一般の人からは立命館大学の格落ち。受験回避したい。など言われるが、在学生や来年の受験生がたいそうかわいそうに感じる。数々の学内学外での不良行為を繰り返し、殺人行為まで犯したチンピラが推薦入学では、まじめに勉強をやってこの大学に入る人に申し訳が立たないのではなかろうか。大学生が学士さんなどと呼ばれ尊敬されないのももっともである。犬や猿以下のこの人物が入学することは回避不可能になっているのか。今となっては立命館大学学生の彼への執拗なる攻撃とマークが期待されるところである。まあそんな甘い場所ではないと思うし生き地獄さえ味わうのではなかろうか。あれが出てきても立命館の学生は応援できるのかな。
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